何をすればいいかわからなくなったとき

2017年7月28日 at 12:13 AM
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まあ今は幸いにも、本当に全くやることがない場合には
家に帰るという選択肢がある。
だが、家に帰る必要のなかった学生時代には、
それこそベンチから全く動くことが出来ないこともあった。

他に用事があればいいのだが、全くないときはそこから動けない。
ベンチに4時間でも5時間でも座り続けるしかなかった。
どこかのビルの中であれば、
閉鎖時間になって守衛に追い出され、そこでやっと家路に着くという始末なのだ。

そんな生活をしていた(今もしているのだが)私にとって、
電車という移動手段は非常に良いものである。

電車にはいちおう終点という目的地がある。
何もせずに座っていようと、目的地に行くために座っているので、心が楽なのだ。
座っていることに罪悪感がない。
何もしなくても何かをしていることになる。

飲食店もまた同じ効果がある。病院もそうだ。
用事が終わるまではそこを動けないのだが、
動けないからこそ、そこにいてよいという大義名分が得られる。

だから、私は電車や店や病院の待ち時間の長さを苦にしたことはない。
逆に終わるのが早すぎると、余った時間をどうすることもできないため、苦しくなる。

この苦しさは何の苦しさか。
意味の苦しさである。
私が目の前に広がる無数の選択肢の中から、
何らかの意味を選び取らねばならない苦しさなのだ。

この世は意味で溢れていて、
それはさしたる用事のない者にとって、時に暴力的ですらある。
私はこの暴力をどのように回避していけばよいのか。
それがまだわからないでいる。

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  • 例えば街を歩いていて、何をすればいいかわからなくなったとき、
    たまには苦し紛れにコンビニに入ることもあるのだが、
    それはやっぱり何の解決にもなっていない。

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